もじもじ皇子と広い背中2 ~三つ編みと四葉のクローバー~
皇族というものは得てしてプライベートというものがない。
例えば私室にしても完全な私室とは言えない。警備の者は常に扉の向こうに控えているし、大抵世話役の侍女や侍従が2、3人は必ず部屋にいる。風呂も一人で入ることはなければ、着替えも一人ですることはない。彼らもそれが当たり前として育っているから特におかしいとも思わないのが大多数なのだが、一名、激しい人見知りであるが故にそれらを苦痛に感じる皇子がいた。そんな皇子が傍にいることを許したのは血縁関係のある人間を除けば昔も今もこの世でただ一人。
「ジノ、ジノ。」
鈴を鳴らしたような愛らしい声が今は泣きそうに小さく響く。
いつもならばすぐさま飛んでくるように素早く皇子の元へと駆けつける騎士候補の少年は、午後からは実家の用事で離宮を留守にしていた。
「ルルーシュ殿下、今夜はジノ様はご実家にお帰りになっておられるのでこちらにはいらっしゃらないのです。どうか私どもでご勘弁下さい。」
皇子と同じく泣きそうな侍従が顔を真っ青にしながら必死に説得にかかる。
この皇子が涙でも流そうものならば、己の首など切れ味の良い鋏でチョキンと紙きれを切るよりも簡単に切られてしまうだろう。
「ジノ、ジノ。」
しかし侍従の想いは届かず皇子は繰り返しジノの名を呼ぶばかりで、一向に機嫌が直らない。それどころか皇子の大きな紫色の瞳がうるうるとし始めたので、侍従は家族への言い訳を走馬灯のように頭の中に並べた。
信じられるだろうか。この離宮で働くことのできる栄誉は、ただ皇子を風呂に入れることができないということだけで脆くも消え去ってしまうのだ。それも皇帝や高位皇族に溺愛されているこの皇子を泣かせたとあれば、将来に光などあるはずもない。
あはは、俺の人生って一体なんだったのかなと、ちょっと違う世界に逝きかけている間にも、皇子は右手に持ったテディ・ベアをぎゅっと抱きしめて今にも泣きそうに顔を歪めていた。さあいよいよ泣くぞ、という侍従にしてみたら人生を左右する瞬間に、待ちに待った救世主は現れた。
「ルルーシュ様、お待たせして申し訳ありません。」
ニコリと笑った顔を見上げると、皇子は何も言わずに(皇帝から贈られた)テディ・ベアを床に落としてジノの体に勢い良く抱きついた。その小さな体をしっかりと抱きしめて、優しく背中を撫でるとすんすんと鼻を啜る音が聞こえてきた。
ジノがそっと侍従に目配せをすると、心得た侍従達は静かに頭を下げて出て行った。
「もう私以外いないですから、大丈夫ですよ。」
しゃがんで目線を合わせるように言うが、離してしまえばどこかに行ってしまうのを恐れるようにイヤイヤと頭が揺れた。
「どこにも行かないですよ。」
絹糸のように柔らかな髪を手のひらで包みこむように撫でて暫くするとようやくほんの少し体が離れた。
縁が仄かに赤くなってしまった大きな澄んだ瞳がジノをじっと見つめた。
「ジノのおうちはここじゃないの?おかえりなさいじゃないの?」
先ほど侍従に言われたジノは実家に“帰った”という言葉に非常にショックを受けていた皇子は水晶のような涙をぽろりと零し、嗚咽混じりに問いかけた。
「私の帰る場所はルルーシュ様がいらっしゃる場所ですよ。だからおかえりなさいで合っています。」
安心させるようにニコリと笑うと、皇子は皇帝が見たら鼻血を出しかねないほわんとした実に可愛らしい頬笑みを浮かべて再びジノに抱きついた。
皇子の気が済むまでしたいようにさせてから、どこか甘い匂いのする体を抱きかかえ皇子専用の風呂場へと向かった。
「ねえジノ。ここがジノのおうちなら、ジノも一緒にお風呂に入ろう?」
皇子の服のボタンを外していると突然そんなことを言われ、ジノを困ったように眉尻を下げた。いくら皇子の騎士候補として仕えているとはいえ、皇族と風呂を共にするなど許されるはずがない。しかし答えないジノに焦れた皇子に首を傾けながら、
「だめなの?ジノのおうちはここじゃないの?」
と涙目で言われてしまえば、既存の規則やルールなど吹っ飛んでしまう。
「いいえ、ジノのおうちはここですよ。ちょっと着替えをどうしようかと考えていたのです。すみません。」
世界のルールはルルーシュ皇子なのだから、間違ったことはしていない。
完全に身を委ねるように己に全てを任せる皇子の様子に、ジノはよく泡だてたシャンプーで丁寧に髪を洗ってやりながら、つい笑みが零れてしまう。
広い浴槽に皇子をチャプンと浸けてから、自分の一本に緩く編んだ三つ編みを解いて髪を洗っているとジーっと見つめる視線を感じた。
「どうしました?」
「う、ううん、なんでもない。」
「そうですか?」
焦った様子が可愛くてつい問い詰めてしまう。
「う、うん。ジノの髪の毛って綺麗な色だなって思っただけ。」
なんとなく本音はそこではないと感じたが、これ以上は可哀そうなので納得しておく。
「ありがとうございます。でも私はルルーシュ様の黒髪の方が綺麗だと思いますよ。」
返事がないので皇子の方を見ると、プクプクと顔を半分お湯に浸けていた。
風呂から上がり、髪を乾かし終わるとツンとシャツの裾を掴まれた。
「ジノ、ここに座って。」
桜貝のような指先が示した場所はソファーの前に敷かれているふかふかな絨毯。
「はい。」
言われるがままに腰を下ろすと、皇子はソファーに座りジノの髪をいじり始めた。とても真剣な眼差しが己の首筋に注がれているのを感じてくすぐったくなる。
「できた!」
満足そうな声が聞こえ、首元に手をやるとそこには三本の三つ編みがあった。恐らくジノが見ていない所で練習をしたのだろう、その編み目は三本ともとてもきっちりとして皇子の几帳面な性格を表しているようだった。
「ありがとうございます、ルルーシュ様。でも何で三本なんですか?」
「今日の午後、母様とお散歩していたら三つ葉のクローバーを見つけたの。でも僕は四つ葉のクローバーが欲しかったから、一生懸命探したんだ。でもいくら探しても見つからなかった。護衛の兵も一緒に探してくれたのに。」
「どうして四つ葉のクローバーが欲しかったのですか?」
話途中だったが、常には何も欲しがらない子どもらしからぬ所がある皇子の意外な行動を不思議に思い問い掛ければ、どこか恥ずかしそうに目線を逸らしながら音量を下げた声が返ってきた。
「この間読んだ本に書いてあった。四つ葉のクローバーを見つけると幸せが訪れるって。だから、見つけてジノにあげようって思って・・・。最近ジノちょっと元気なさそうだったから。」
ジノはとても驚いた。
実は最近皇帝の寵愛を一身に受けているルルーシュ皇子に仕えているために群がってくる輩が多くなってきて辟易としていたのだ。もちろんそんな気持ちを皇子の前で出した覚えはないのだが、幼くとも聡い皇子は些細な表情や態度に気が付いていたのだ。
「ジノに幸せをあげたかった。でも見つからなかったから、どうしようって母様に聞いたら・・・。」
“あのね、ルルーシュ。四つ葉のクローバーは確かに見つけられたらとても素敵なことよ。でもね四つ葉のクローバーが人を幸せにしてくれるわけではないの。”
“そうなのですか?では本には嘘が書かれていたのですか?”
“そういうわけではないの。四つ葉のクローバーを探している時の大切な人を想う一生懸命な気持ちがいつか幸せに気づかせてくれるのよ。”
“・・・ルルには少し難しいです。どういうことですか?”
“ふふっ。そうね、少し難しいお話かしら。でも貴方なら必ず理解できる日がくるわ。だから今は四つ葉を手にすることより四つ葉を見つけることを楽しみなさい。それがジノの幸せにも繋がるはずだから。”
“??わかりました。”
「母様のお話はまだよくわからないけれど、とりあえず今は三つ葉でもいいかなって思った。四つ葉がなくても僕はジノが居てくれたらそれでいいんだ。いつか四つ葉のクローバーよりもジノに幸せをあげられるようになるから、ちょっと待っていてね。だからそれまでは三つ編みは三本ね。」
すまなさそうに言われ、ジノは思わずぎゅっと皇子を抱きしめた。
「私はもう誰よりも幸せなんですよ?」
「そうなの?」
「そうですとも。ルルーシュ様をこうして抱きしめられることが私の幸せなんですから。」
柔らかな花の香りのする髪を撫でると、幼い手が自分よりも大きな背中をぎゅっと抱きしめて、楽しげな笑い声が部屋に響いた。
こうしてこの日からルルーシュ皇子の騎士候補の襟足には三本の三つ編みが自慢げに揺れることになった。その真相を知るのは当人達と最強(凶)と名高いマリアンヌ皇妃だけ。
もじもじ皇子はジノと母親とナナリー(この時はまだ生まれていませんが)の前だけ、もじもじではありません\(^o^)/ ルルのためならルールを吹っ飛ばす男、それがジノだとともきは信じていますw
参考にした詩「この手の空っぽは君のために空けてある」から。
以下に。(反転でどうぞ)
「四つ葉のクローバは見つけると幸せが訪れるという
小さい頃からいくつもいくつも四つ葉のクローバを見つけては
母がしおりを作ってくれたが 幸せはそうやすやすとは訪れなかった
幸せとは訪れるものではなく 心の中に見つけるもの
そう気づいて 四つ葉のクローバーを見つけるように心の中に幸せを見つめ続けて
君に出会った
四つ葉のクローバーには続きがある
五つ葉は金銭上の幸せ
六つ葉は地位や名声を手に入れる幸せ
七つ葉は九死に一生を得るといったような最大の幸せを意味すること
五つも六つも七つもいらないなあと思う
四つ葉で十分だと思う
ただの幸せでいいや
きみがいれはいいや
母のしおりには言葉が添えられている
『四つ葉を手にするより 四つ葉を見つけることを楽しみなさい』と
『四つ葉』を『幸せ』に置き換えて母の言葉を読んでみる」